「フューチャー・スキル実践」は1社目のクライアントであるエテュセさまへの最終提案を行いました。第1次提案へのフィードバックを受け、どのチームも力を入れ、かなり準備も行って臨むことができたと思います。
実は当日までけっこうヒヤヒヤしていました。それは「フリーライダー(ただ乗り)」を巡る問題です。PBLをやっているときに「フリーライダー」をどうするか?はもはや「あるある」になっています。「フューチャー・スキル実践」でも1年生前期科目ということもあり、グループワークやPower Pointの使い方など全く初めて、という学生もいます。そのため、グループ内が必ずしもみんな頑張ってできた!というわけでもないようでした。
授業の感想、最終提案前のグループごとフィードバックの場でも「私だけがやっている!」「何であの子はやっていないのか?」「やる気あるならできるはず!」などいわゆるフリーライダー糾弾、問題提起がなされていました。
こうした「私だけがやっている!」学生には確かに過剰な負担になり、プロジェクト疲れ/嫌い、燃え尽きなどになりかねません。こうした状況は学校だけではなく社会でも同様かと思います。
ただ考えたいのはフリーライダーを糾弾するだけではなく、フリーライダーもいる中で
1. 参加しやすい/したくなる運営を行えたか?
2. その学生と事情を共有するコミュニケーションを行ったか?
というコミュニケーションのコストについてです。
1. に関して、「ここにはやる気がある人がいるはず」「やる気のあると人だけやりたい」という前提で進めることができれば運営やコミュニケーションのコストはほぼゼロですむでしょうし、ある意味、「楽」でしょう。しかし、実際問題、それは「理想」であり、「現実」に生じるさまざまな葛藤やいらだちを減らし、前向きにアクションするためにコミュニケーションのコストが必要になってきます
2. に関してフリーライダー「に見える」問題もあります。自分は100の力を出しているのに他に人が50しか出していないのはけしからん、と思うかもしれません。しかしその50はその人にとっては100%かも知れません。あるいは50%しか出せない事情があるかもしれません。こうした事情の共有、認識の違いを埋めるコミュニケーションも重要だと思います。
少し話は変わりますが、女性活躍推進のためのワーキング・マザーの調査・分析を行っています。ワーキング・マザーは公私とも非常に多くのタスクを抱え、働いていらっしゃる方も多くいます。出産・育児前はその人が100出せていたのに時短勤務や育児のため50しかできない、ということも多々あります。調査から職場の雰囲気やパフォーマンスにとって社員同士のこうした事情・認識の共有が重要という結果が出ています。やはりそこにもコミュニケーションのコストをかけるべきところなのだと思います。
ちょっと言い過ぎかもしれませんが、私が100できるから他の人も100できるはず、他の人が100できるから自分も100できるはずという認識自体がもしかするとダイバーシティや働きにくさを生み出している一つの要因なのかも知れません。