普段、「越境しよう」と言っている自分も越境しよう、ということで、ミッドタウンのDesign Hubで開催されたソーシャルデザインについて考えるというイベントに参加してきました。知り合いゼロという超アウェイでしたが、非常に刺激的でした。
イベントでは東京芸術大学の須永先生によるフィンランドAalto Univ.のDesign for Government、デンマークのDesign School KoldingのPatient Democracy、イギリスのLancaster Univ.のImagination Lancasterの事例紹介からソーシャルデザインについて考えました。
どの事例も非常に面白く、また巷でよく使われるようになったデザインやソーシャルについて(自分自身のゼミや研究もコミュニケーション・デザインと言っていますが…)改めて考えるよいきっかけになりました。以下は感じたことや学んだことのメモ。
デザインというとイラストを描いたり、fabのようにモノをつくったりなどが浮かぶかもしれませんが、近年のUXや経験デザインに見られるように拡張されています。須永先生のお話を聞き、(怒られそうですが)いわゆるデザイナーではない自分なりに一言でまとめると、デザインとはストーリーや体験、コンセプトを(構造化することで)可視化することなのかな、と感じました。こうした考えはデザインにとどまらず、帰納・演繹の差は置いておくとしても、社会に関する調査・データ(具体)と枠組みや理論(抽象)を往復する社会学にも通じるところがあると思います。
ではソーシャルをデザインするとは何か?昨日の話ではヨーロッパでは社会的課題(Societal Issues)に対してデザインで解決を目指す「Design for〜」という考え方が色濃いということでした(一方、日本ではデザインはまだまだ商業的・消費的に回収されがち)。言い換えると、日本ではモノ・コト(as text)→文脈(as context)なのに対してヨーロッパでは文脈(as context)=社会→モノ・コト(as text)という流れと表現できるのかなと。
そういった意味では、では「社会」とは何か?社会を「良くする」とは何か?を本質的に、深く考える・想定することから出発すべきである、ということでした。やはり社会学っぽい。もちろん、社会って固定的に考えられないという日本と確固たるイメージを持つヨーロッパの違いとも言えるので、どちらがいいと言うわけではないですが、そういった考えに触れることでソーシャル・デザインを捉え直すことは必要な作業かなと思いました。