先日のゼミはオカムラさまのOpen Innovation Biotope "Sea"で夏のインカレ合宿での発表進捗について行いました。ゼミではさまざまなプロジェクトがありますが、発表で求めたいのはアカデミックな理論・枠組みとプロジェクトでの実践をきちんと俯瞰して関連付けられているか、ということです。つまり「メタに」プロジェクトを見ているか・伝わっているか。
こうした発表の初期段階(ヘタすると最終段階)をざっくり分類すると「つくってみた・やってみた系」と「調べた・勉強しました系」があると思います。
- 「つくってみた・やってみた系」について。
メディア制作やワークショップは「自分がやりたいことをやる」という何か伝える、表現するというイメージが強いかと思います。誤解を恐れずに言えば、「アート」というイメージでしょうか。
でも大学で、少なくとも社会系学際学部で行っているからには、社会の何が課題かという問題発見・課題設定があり、それを解決するために行うべきだと思っています。そういった意味で「デザイン」だと思っています。伝えるという部分では共通しますが、表現してよし、ではなく人・社会を動かすという意味合いが重要なのだと思います。法政大学・藤代先生の一連のツイートは興味深いものですし、共感します。
このところ感じるのは「メディアに興味がある」という学生のつまらなさ。メディア=マスメディアであり、ドワンゴやスマートニュースなどは使っているけど、メディアと考えていない。好奇心が乏しく、情報のアンテナが低いから、新しいメディアの動きを追いかけてない。
最近は模擬授業やイベントで話すとき「メディアに憧れているだけ、たんにメディアに入りたいだけの人は来ないでほしい。社会学部だから、社会に関心があるのが前提で、メディアは社会問題を解決するための一つのツールに過ぎない」と言うようにしている。そうすると目の色が変わる学生がいる
模擬授業の後に「音楽に関心がある。もっと音楽をたくさんの人に聞いてもらいたいのですが、それも社会問題と関係ありますか?」と聞いてきた高校生がいた。とても良い視点だと思った。「CDが売れなくて困ってるのは知っている?それを解決することを考えるのは社会の問題解決だよ」と伝えた
社会学部メディア社会学科というのは、メディアを学ぶことで社会の問題を解決する力を身につけるところだと個人的には思っている。社会をとらえ、課題を発見し、解決策を考え、伝える。ジャーナリズムだと言い換えても良い。そのために、文章や映像、広告、プログラミングなどを学び力をつける
弊学部でもメディアを学ぶ=マスメディア業界志望というイメージが強いですが、90年代のケータイ研究をはじめとしてパーソナル・メディア、00年代以降のソーシャル・メディアの普及に伴ってメディア論の範疇はより広く、より複雑になっています。そういった意味で、社会の課題発見・解決とトータルで考えることがより重要になっています。
- 「調べた・勉強しました系」について。
問題発見・設定のためには社会をどのように切り取るのか、枠付けるのかという理論や概念、大きく言えば先人の知恵を学ぶことの意味があるのかなと思います。でも、せっかく大学で、ゼミで学ぶのであれば理論や概念を知っているだけというのももったいないと思います。
メディア環境や立地などを考えても非常に恵まれた時代、場所にいると思います。せっかく考えたならそれをどのように解決するか、つくったり、やったりしてみましょう。